アクティブラーニングという呪い

2018/2/22

 アクティブラーニングという言葉が、全国の教職員たちを苦しめている。
 先生というのは、だいたいが何か教えたい連中がなっているので、このアクティブラーニングというのは、彼らにとって非常に大きな難しさをはらんでいるのである。

 「教えるな」と言われるのである。

 「ティーチャではなく、ファシリテータになって生徒たちの、より深い学びを導け」と、言われるのである。

 教科指導の腕こそが教師の資質であると信じてやってきた彼らにとって、青天の霹靂ともいえるのが、今のアクティブラーニングを求める社会的な動きである。

 では、アクティブラーニングとは何か。これは実はとても難しい。

 グループワークをさせたら、アクティブラーニングか?というとそうではない。
 一人で何か学ばせるのはアクティブラーニングではないだろう?と問われても、必ずしもそうではないのである。

 しいて言うのなら「コンピュータって何?」で有名な、iPadのCM。あの少年は間違いなく、アクティブラーナーである。自らの好奇心に従い、知識を深めていっている。

 ただ、一つ言えることは、あのCMで彼が調べて、学び、理解していっている内容というのは、それぞれの要旨を理解している大人が文章にまとめれば、簡単に数ページに要約して書き記すことができるだろう。

 だが、そんなことで論じられない価値が、彼の行動にあることはだれでもわかるはずである。

 それこそが、アクティブラーニングの意味なのである。自らの力で勝ち得る知識の価値。それこそが大事なのだ。

 

 とはいえ、子供たちに色々自発的に考えさせるためには様々な工夫が必要なのである。

 

 たとえば、こんなのがアクティブラーニングで良いのである。
 

 夏目漱石の「こころ」の売り上げアップのための、煽り文句を考えよ。

 「裏切りは”愛”故に、死は”友情”故に」
 とか、格好良いであろう。だが、これが正しいかどうかはだれにもわからない。

 だが、ちょっと考えてみたくなるであろう?これがきっとアクティブラーニングである。

 早い話が極端に言えば「BOKETE」を教化知識を使ってやったらOKである。

 

 天の神様

 もっと軽く考えて、皆の心が軽くなりますよう父と子と聖霊の御名においてお祈り申し上げます。

 えいめん!

 

 

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