鬼コーチ

2018/04/14

 スポーツにおいて指導者のパワハラのが問題になっている。

 スポ根ものにおいて、鬼コーチというのは、定番のキャラクタだが、やっている事はパワハラなので、現代においては容認されないものになりつつある。

 なぜ、日本においてはこんなにも、スポーツの指導において、軍隊教育じみた強烈なトップダウンと、パワハラじみた強烈な怒声やら罵声やらが定着しているのだろうか。

 どうしてこんなにも、鬼コーチのイメージがついているのだろうか。

 よくよく考えてみると、フィクションでも、そういったものは少なくない。

 キャプ翼でも、吉良監督とか、あいつが無職ののんだくれじゃなかったら、完全にパワハラである。人間のクズ状態のやつのたわごとを真に受けて自己判断で日向くんが練習していたからこそ、許される感じである。

 

 厳しい指導の末に、何かを体得するというのは、日本において練習を表す言葉として存在する「修行」という言葉のイメージのせいに他ならない。

 「訓練」も「修行」も「training」だが、両者の日本語上のイメージはかけ離れている。

 訓練や練習といったものは、ある種合理的な行為に聞こえるが、
 修行といった場合には、理非のもの。

 日常を離れて、ある種の宗教的なレベルまで感じさせる、自らを追い込んでいく行為を想起させる。

 

 ついでに言うと、「師事する」という言葉も、明確な上下関係を表す言葉であり、
 「師匠」の与える練習というのは一般的に「修行」のイメージである。

 本来、コーチと選手というのは「役職の違い」であって「上下関係ではない」はずなのに・・・だ。

 

 ここらへんの、日本語のイメージや、言葉自体が、良くない行動の温床になっている気がする。

 マザーテレサのこんな言葉がある。

 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

 

 まずは「師事する」とか「修行」とか、そういうイメージの言葉をスポーツ界から排除することから始めてはどうだろうか。

 

 天の神様

 パワハラとかがなくなりますよう、父と子と聖霊の御名においてお祈り申し上げます。

 えいめん!

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