N高校というアレ

2018/04/16

 たまには教育の話をしようと思うので、N高校について話をしておきたい。

 昨年度、Edvation x Summit 2017にて、N高の上木原孝伸副校長の出るパネルディスカッションがあったので聞いてみた。

 ちなみに、同時に登壇していたのは、大検予備校にルーツを持つ、広域通信制の第一学院高校の竹下淳司副理事長と、ミネルバ大学を日本に招致した山本秀樹氏であった。
 山本氏は、ミネルバ大学のシステムを解りやすく説明してくれていた。
 竹下氏は、教育への想いがやたら強いのは解るのだが、それが先走りすぎて、話がグチャグチャになってて着地点が見えなかったのが印象的だった。あと活舌が悪かった。

 話がそれたが、この際、N高の言っていた言葉で「気づいてしまった中学生」を対象にしていると言っていた。早い話が、既存の教育が自分の目指す将来の夢に対して、何の意味があるのだろうか?(反語)という事実に気づいて、積極的に学校に行かない事を選択した中学生向け。という事である。

 一言で言うと「数学なんか学んで将来何の役に立つんだよバーカ!」を、より高い次元で理解した子供という事である。

 ここで一つ言えることは、もともと明らかではあったが、N高は「産業、商業に直結する学びの場」であることを明言したものであると解釈できる。
 「何の役にも立たないよな!よし!役立つことをやろう!」という事である。

 個人的にはそれも一つの回答で良いとは思う。

 しかしながら、私が尊敬する森博嗣氏は著書の中でこう言っている。「学問をするのはムダなことであり、ムダなことをするのは人間の高尚さ故」というような旨を言っている。

 これは、よりアカデミックな「学問」としての考え方である。
 こちらに寄せて考えれば「数学も歴史も何もかもムダな事。だが、ムダな事に知的好奇心で挑み続ける事が学問であり、それを行う人間の高尚さ」であるという事になる。

 どちらが正しいとも言えないが、近年、アクティブラーニングやら、プログラミング教育やら、何でもかんでも「実学寄り」が過ぎる気がしている。

 以前、東進の林先生は「学問は贅沢なんだから、やる気が無いならやらないでいい」という旨の事を言っていた。

 つまるところ、学問は贅沢品であり、嗜好品であり、その価値を共有できる者が進めば良いのである。高等学校の選択肢として、学問を避けて、実学に寄り添うところがあっても良いが、義務教育においては、学問という大いなるムダをもっと大切にしてもらいたい気がする。

 何でもかんでも、何の役に立つかにつなげられて、一見して何の役にも立たない、知的好奇心だけに支えられた学問が、世界を変えてきた歴史を見失ってはいけないと思う。

 天の神様

 学問という道も、おろそかにされないよう
 父と子と聖霊の御名においてお祈り申し上げます。

 えいめん! 

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