スピーキング

2018/05/13

 都立高校の入試にスピーキングが導入される。

 降って沸いたような話だが、どの程度のものになるのか・・・。
 スピーキングの採用については、賛否両論あるだろうが、私個人は好意的に捉えている。

 なぜならやはり、音が大事なのである。

 偉大なメフィスト賞作家であり、TOEIC満点ホルダーである清涼院流水先生も、著書の中で「出せない音は聞きとれない」という理屈を書かれていた。

 

 しかしながら、スピーキングというのは「発音のテスト」ではない。
 さらに言えば「英作文や、和文英訳を音読するテストではない。」

 もっと、内在的な意思があってこそのスピーキングである。

 ちなみに、清涼院先生の著書で推薦されていて、つい購入してしまった「オバケの英語(ドリアン助川著)」にも、非常に大事なことが最後に書かれていた。

 「英語が問題ではない。何を言うか。どう生きるかがの問題」であると。
 ※ちなみにめちゃくちゃオススメの英語学習本であるので、ぜひ買ってみてほしい。ストーリーも面白いものである。

 

 スピーキングとは、自らの意思の発露でなければならない。
 つまり、「己の意見」を表明する手段がスピーキングである。

 英検の面接対策みたいに「言いたい事より、言える内容を答えろ」みたいな指導になったら、元も子もないのである。言いたい事を言うのが言語というツールなのに、本末転倒である。

 もういっそ、特定のテーマを与えて、受験生4人くらいでフリートークさせたら良いのではないだろうか。ランダムな会話の流れの中にこそ、真にどう発するかが生きてくると思う。

 

 ちなみに、もっと恐ろしい事に、おそらく学校の英語教師の少なくない割合は「英語で自分の意見を語れない」という事実が間違いなくある。 

 動詞に線を引きながら英文を読む指導をしている限りは、スピーキングなんて試験のシステム自体、マトモに作れないのではないだろうか。大人側が。

 

 天の神様

 綺麗な発音で音読しても笑われない環境が学校に生まれますよう、父と子と聖霊の御名においてお祈り申し上げます。

 えいめん!

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