最終話 : 審問官の誓い The Inquisitor's Resolution

 

 その女は、罪人のように暗澹たる視線を下へと落とし、じっとその報告に聞き入っていた。

 部下の神父が告げる被害状況は深刻なものだった。
 昨夜未明、モロクの街を中心に、大規模な震災が発生。おりからの乾季のせいもあり、一度上がった火の手は、街を埋め尽くす勢いで広がっていったという。

 現在、消火活動は続けられているものの、火の手は衰えず、すでに火災によって、数千人にも上る死傷者が発生しているという。

 さらに、地震発生と同時に大聖堂及び、騎士団は対策のために部隊派遣を決定したのだが、しかし、彼らの到着と同時に、モロクの街は原因不明の砂嵐に閉ざされ、内部からの連絡が完全に断たれた状態となっていた。

 ごく一部からは、内部でアンデッドが動き回る姿が見えたなどという報告もあり、緊急事態であることは誰の眼にも明白だった。

 傍らに控えた少女は、不安げに師匠の顔を見上げている。

 ただ、死刑宣告にも似た絶望的な報告が、部下の男の口によって紡がれるのを、二人は沈痛な面持ちで聞いているだけだった。

 まだ戦禍の傷跡も癒えぬ王国の国力にとって、これは国家を揺るがしかねない大事態である。

 部下は一通りの報告を終えると一礼して部屋を出て行ったが、女は是とも非とも言わずに、やはり沈んだ面持ちで机の一点を凝視していた。

「あの、お師匠様?」

 恐る恐る問いかけた少女の声も、今の彼女には届かない。

「お師匠様ぁ〜」

 少女は耐えかねて女の袖を引っ張った。

「あ?あ、あぁ・・・すまんな。これから…私は旅に出る。お前はここで大人しくしていなさい」

「ま、またお留守番ですかぁ?」

 少女は口を尖らせる。前回、戦争のときも師の居ない冷たい部屋で孤独に待っていたのである。もう、そんな心配や不安で満ちた生活は懲り懲りなのだ。

 女は、口の中で小さくつぶやく。

『どうして、私が・・・』

 それは、運命を呪った小さな言葉。
 その言葉は、ずっと昔から彼女の心の中に小さな楔となって打ち込まれていた。

 その傷が、疼くように痛む。

「お前は…大人しくしていなさい」

 有無を言わさぬ口調で女は立ち上がる。

「で、でもお師匠様ぁ!」

 女は、部屋の出口で立ち止まって、少女を振り返った。

「一つ。お前に聞きたい。彼らは、どうしてその身を滅ぼしていったのだろう…」

「え?」

「その者は、愛するものの生を望み、死へと抗い自らも地の底へと消えていった。
その者は、果て無き勝利を望み、王者の剣によって願いを叶えながらも、自らに終止符を打った。
その者は、理想の器を求めながら、手にしかけたそれを自らの手で壊し、そして死んだ。
その者は、英雄の夢を望みつつも、武勇を忘れ自ら蛮行に手を染め、その身を滅ぼした。」

 少女は黙り込んだ。
 そして長い沈黙の後に、少女は小さく呟く。

「滅んで居ないと思います…」

「そう、思えれば幸せかもしれんな」

 そんな嫌味を言ってしまう自分が心の底から憎く思えて、同時に恥ずかしくて、女は少女に背を向けた。

 彼女は、悲痛な面持ちで扉を開けて廊下へと出て行く。そして、追いかけた少女の目の前でその扉を閉ざした。

「これより先は、私の成すべきこと。お前を巻き込む事は出来ぬ…良い子にしているのだぞ」

 扉越しのその声は、心なしか震えていた。

***

 父の昔話

 父は夜な夜な、枕元でその昔話をした。
 昔、モロクはモロク王国という名前の王国だった。父はその、王族の最後の生き残りであり、モロク王は女系王族による継承であるため、娘である私こそが最後のモロク王朝の正統後継者なのだと言った。

 モロク王国は、かつて横暴なるプロンテラの政策により破滅の道を歩まされた。

 意図的に、宗教蜂起を誘発し、鎮圧を行ったモロク王朝に対して、信教の守護者を名乗って軍事介入。

 モロク王は怒りとともに、その地に封印された魔王の封印を解き放たんとした。
 その名は魔王モロク。

 王国自体、最も荒ぶる怨霊、魔王モロクの力を味方につけんという意思の元に名づけられたという。

 魔王モロクは、その圧倒的な魔力によって、周囲の大地を焼き尽くし、敵味方区別無く等しく死を与えていったという。

 しかし、プロンテラからやってきた一人のルーンミドガズ王国の王族出身の賢者によって、魔王モロクは封印されて眠りに付いた。
 そして、モロク王国は歴史からその名を消すこととなる。

 当時、まだ幼かった父は、王国最後の生き残りとして虜囚となった。そして、長じて彼は、ルーンミドガズ王国の王族の娘と結婚させられた。

 それは、モロク王国の王族と血縁関係を得ることによって、モロク王国の正統後継者をルーンミドガズ王国が名乗るためであった。

 そして、二人の間に私は生まれたのだ。

 そして、父はいつも、ここから熱っぽく暗い情熱を秘めた目で語っていた。

 魔王モロクの封印は、あくまでもかりそめの物だ。我ら王国に伝わる四つの神器を用いて、真実の封印をせぬ限り、近い将来魔王モロクは復活を果たすであろう。

 お前は、その時までに四つの神器を揃え、真の封印の儀式の準備を整えねばならない。
 そして、魔王モロクの封印が解き放たれたとき、ルーンミドガズ王国は悪夢の如き災厄に満たされるであろう。王国に致命的な打撃を与えたならば、お前は魔王モロクを封印し、そして再びモロクの地に王国を再興するのだ。

 それが、虜囚の辱めを耐えて生き延びてきた我々の唯一にして絶対の使命なのだ。

 その父の言葉は、今でも私の耳に残っている。
 ベッドに入り、目を瞑るたびに思い出す・・・どこか哀しげだけれども、大好きだった父の背中の幻とともに蘇る、幼き日の記憶。

 

***

 母の昔話

 暖かな午後。母の膝の上でまどろんでいると、決まって母はその昔話をした。

 かつて、モロク王国とルーンミドガズ王国の間で、大きな争いがあったという。
 その時、モロク王族の一人が、その地に封印されていた強大な力を有する魔王モロクを解き放ってしまった。

 魔王モロクは三日三晩暴虐の限りを尽くした。底を知らぬ魔力のうねりは、大地を引き裂き、空を闇で満たし、街を焼き尽くしていった。

 多くの人々が、多くの戦士が、その体にキズをつけることも出来ずに、魔王の指先一つほどの力で吹き飛ばされていったという。

 そんな折、一人の賢者が、その命と引き換えに魔王モロクを封印した。

 それは母の母。つまり、私の祖母なのだという。

 だが、その封印はあくまでも仮初の物。古文書によれば、魔王モロクの封印には、四つの神器が必要であったという。

 そして、神器一つ一つが持つ役目を果たして、人を救いしとき、その神器は覚醒する。
 魔王の封印にはその覚醒した四つの神器が必要なのだという。

 仮初の封印は長くは持たない。
 母は、私には魔術の才能があると言っていた。だからこそ、私は仮初の封印が解けるときまでに、四つの神器を集め、魔王モロクの復活に備えなければならないと言った。

 それが、魔王モロクを封印せし賢者の家系の唯一にして最大の使命なのだ。

 その母の言葉は、今でも私の耳に残っている。
 暖かい午後の日差しを見れば思い出す・・・優しい日差しのにおいと、大好きだった母の匂いとともに蘇る、幼き日の記憶。

 

***

 少女の記憶

 父も母も大好きだった。
 私は生まれたときから、王宮で暮らしていた。それがどんな意味を持つのか、私はまったく考えた事が無かった。けれど、時々メイドたちが廊下でひそひそと、私のことを可哀想だ、不幸な子だと囁いているのを聞いたことはあった。

 私には、それがどういう意味だか解らなかった。

 父は優しかったけれども、酒が入ると人が変わったようになった。
 母を罵倒し、殴るようなこともあった。私は、二人が大好きだったから、二人の仲が悪い事が何よりも哀しかった。

 私が10歳になった頃。父は慢性的なアルコール中毒で、酷くまわりに当り散らしては、城下の色町に繰り出すこともしばしばだった。

 色町で男が何をしているのか。その意味を知るようになって、私は父を嫌悪するようになった。

 けれど、本当は悔しかったのだ。
 母ですらない、そんな見ず知らずの誰かに大好きな父を奪われていることが。

 父は、それからまもなくこの世を去った。理由は今となっては解らないが、王国の人間による暗殺などという噂も流れていた。私という既成事実が生まれた以上、色町に繰り出したり暴力沙汰を起こしたりと、醜聞を広めるだけの父を最早生かしておく理由は無かったのではないかと彼らは言う。

 父が死んでから、まるで後を追うかのように、母も死んでいった。流行り病にかかって、あっけない最後だった。

 母の最期の言葉は、意外なものだった。私にそっと言った言葉は、「父を許してあげて」である。ずっと恨み続けていた父への想いが、この時氷解した。

 母は結局、政略結婚であったとしても、父が狂気に蝕まれていっても、父のことを愛していたのだと、私はこの時知った。

 両親を失った私はその後、プロンテラ大聖堂に聖職者の見習いとして預けられることになった。

 これは、僧侶として俗世と切れさせることで、仮にも王族の血を引く私が政治の表舞台に出てくるのを防ごうという、王国の思惑があったと言われている。

 けれど、私はこの大聖堂での出会いにとても感謝している。

 そして、私はいつまでも泣き虫な少女では居られないと悟ったのだ。両親は私に互いに一つずつの使命を託して逝った。

 私は、それと向き合っていかなければならないのだから。

***

「司祭様?司祭様?」

 ポクポクと揺れる馬車の中、女は御者の声で浅い眠りから引きずり戻された。彼女は相変わらず、真っ黒なローブを着て、フードを深く被っている。

「どうした?もう街か?」

 女は目をこすりながら聞き返したが、御者の老人は首を勢い良く横に振った。その代わり、何かおびえたように、彼女の横にある荷物の袋を指差しているのである。

「あ、あの・・・司祭様。なんかお荷物がモゾモゾと・・・」

「へ?」

 言われて見てみると、自分の横にある袋がモゾモゾと動いているのである。女はドキリとして、慌てて袋の紐を解いた。

「ぶはぁああ!やっと出られたぁ!」

 袋を開くやいなや、中から真っ黒かな塊が物凄い勢いで飛び出してきたのである。一瞬身構えたものの、彼女はそれが何であるかをすぐに理解した。

「こ、こら!お前!」

 袋から出てきたのは、同じく真っ黒のローブを身につけた小さな少女だった。少女は袋から勢い良く飛び出すと、女に向かって思いっきり抱きついた。

「お師匠様っ。お供します」

「ばか者!危険だと言ったろう!」

「お師匠様こそ。なんだか、ここのところずーっと思いつめたような目をしていて、お師匠様を一人で行かせる方が、ずーっと危険ですよ!」

 少女にそういわれて、女は何も言い返せなくなってしまった。
 確かに、このところ随分と思いつめていたのは事実である。ある種、死すら覚悟して今回の旅に臨んでいた。

 やはり、この少女相手に隠し事は出来ないかと、女は小さく諦めのため息をつく。そのため息と共に、今まで妙にこわばっていた余計な力や緊張も、一緒に抜けていくようだった。

「解った。ついて来ても構わん。その代わり、危ないと思ったら逃げるのだぞ」

「はぁい」

 少女はもう一度、力を込めて大好きな師匠に抱きついた。

「あのぉ、お師匠様。モロクでは何が起こっているのですか?」

「おそらくは魔王モロクの復活だ…」

 女は小さくつぶやいた。

「魔王・・・モロク?モロクって、地名ですよね?」

「そうだな…地名でもあり、魔王の名でもある。」

「どういうことですか?」

 少女は女の横にきちんと座りなおして、神妙な顔つきで聞き返した。

「元々は、この魔王の封印の地という意味で、モロクという地名が付いておるのだ。その魔王が、再び復活しようとしておるのだよ。言っておくが、今回は戦いになるぞ」

「はい」

 少女は頷く。
 それを真っ直ぐに見つめて、女もまた力強く頷いた。

 生きて帰ろう。不思議と、そう思えてくる。荷物に紛れ込んでまでついてきた弟子に、いつの間にか彼女は心から感謝していた。

 モロクの街は近い。馬車で荒野を抜けて、モロクまで直近のオアシス都市まで向かい、そこからラクダでモロクまでは数時間という予定だった。

 すでに、天を衝くような巨大な砂嵐が地平線の先に見えていた。その中に渦巻くものが何なのか、遠く聞こえてくる風の鳴き声は潰えた王朝の怨嗟の声にも聞こえた。

***

「あー、これは近づけんなぁ」

 女は、ラクダから降りて目の前に壁のようにそびえ立つ砂嵐を見上げた。オアシス都市から、ラクダで数時間かけてここまでやってきたものの、目の前の砂嵐は我慢すれば通り抜けられるなどというレベルのものではない。
 砂嵐などという生易しいものではなく、砂の密度も、風の速さも常軌を逸しているのだ。それはある種、モロクという街を覆いつくす砂の繭のようでもあり、結界のようでもあった。

「どうするのですか?」

 少女が不安げに問うと、女は少し自信ありげに笑って見せたが、彼女の場合いつも自信満々なので、それが本当なのかブラフなのか疑わしい。

「大丈夫だ…それより、これから先は戦いになる。危ないと思ったら逃げろよ」

 女はラクダに積んであった巨大な棺のようなものを地面に下ろすと、その蓋を開けた。

「こいつを使うときが来るとはな」

 箱の中には、女の身長の二倍、少女の三倍はあろうかという巨大なソードメイスと、深海の如き群青に煌く金属製の篭手が置かれていた。

 女は、その篭手を身につけると、ソードメイスを軽々と持ち上げた。

「こいつはな、ホールグレン特製のソードメイス。その名も、インクィシターズ・レゾリューション(審問官の誓い)。この篭手は、魔力を込めたオリデオコン純度100%のもので、重さを軽減する魔法が込められている」

 そう言って女は、ソードメイスを誇らしげに構えた。

「あの、ホールグレンさんって、あの失敗の多い精錬所の・・・ですか?」

「そうだ。失敗が多いのは…ヤツがコレを作り上げたとき、腕の腱と神経を痛めてしまったからだ。マトモに精錬が出来なくなってしまったのだ。だが、ひと束いくらの冒険者どもの装備を打ち上げるよりも、この武器一本を作り上げることに価値があると言ってくれた。冒険者どもの装備など、いくらでも壊しても良い価値があるとな。つまりこれは、ホールグレン生涯最高にして最後の傑作だ」

「す、すごいんですね・・・それ」

「ああ・・・では行くぞ。私から離れるな」

 女は砂嵐に向かうと、ソードメイスを隙無く構える。

「我は、正統モロク王朝後継者。魔王モロクよ!汝の復活にまみえんとして、ここに至れり!我、汝の力をもて、復位を望まんとする者也!願わくば、我を汝が元へ導け!」

「え?お、お師匠様!?」

 すると、砂嵐の向こう側で禍々しい獣の咆哮が聞こえ、それと同時に砂嵐が真っ二つに割れた。

「行くぞ」

 女は、少女を背中にかばうようにしながら、砂嵐の中を慎重に進む。

 程なくして現れたモロクの街は想像以上の惨状だった。
 地震で倒壊した家屋に、燃え上がる火柱。逃げ惑う人々に、街を支配するアンデッドたち。

 そこでは、生あるものこそが異端でる。

 女は、群がるアンデッドを、インクィシターズ・レゾリューションを振るい、蹴散らして進む。ソレはまるで、稲の刈り入れのように無造作な動きであったが、その威力たるや絶大で、次々とアンデッドが真っ二つに千切れていく。

 彼らは、マミーやらスケルトンやらといったアンデッドとは違い、古代王朝の軍人の格好をしたものが殆どであった。

「魔王モロク!姿を見せろ!見せぬならば、こちらから行くぞ!」

 女は声高に叫ぶ。
 そのあまりの怒気に、背後の少女は思わず肩を震わせた。

 その瞬間、地面が大きく揺れ、大地から光の柱が天へと突き刺さる。
 暗雲に巨大な穴を開けて大地と天をつなぐ光の柱。地面の亀裂から吹き上がる炎。

 そして、地面から巨大な魔獣が頭をもたげて、少しずつ姿を現した。

 天を衝くほどに高い姿。

 頭は三つ首の牛のような獣でありながらも、蛇のような全身に無数の目を持ち、六対の純白の翼をはためかせ、天へと上るその姿は、禍々しき天使の如きである。

「「汝がモロク王朝の後継者か」」

 女はごくりと唾を飲み込んだ。

 脳の奥に直接語りかけてくるような濃密な言語。それは人の理解を崩壊させていくような恐怖を帯びた声。人智を超えた存在というものを目前に見て、彼女は真の恐怖という感情を初めて理解していた。

「その通り。だがな、先ほどはここに来るために、ウソをついたが…私は王座に戻るつもりなど無いのだよ。賢者たる我が祖母の尻拭いのためにやってきた。お前を今度こそ、大地の底へとつなぎ止める!」

「お師匠様・・・」

 不安げな少女の透明な瞳。
 それを真っ直ぐに見ることも、大丈夫だと言う事も出来なかった。

 漠然とした不安を拭うように、彼女は魔王をにらみ付けて叫び声を上げた。

「これまでだ!」

 四つの神器は完全には覚醒し切れていない。
 それぞれの願いを完全に叶えることが出来ずに、彼らは皆この世を去って行ったのだ。なればこそ、足りない分は己の力、己の命で何とかしなければならない。

「魔王モロク!我、古の儀に基づきて、汝を大地に還さん!来たれ、四種の神器」

「「四種の神器だと」」

 魔王の目が怒りの炎に赤く燃え上がる。

「「我の力が欲しくは無いのか?王の子よ!我の力を持ってすれば、王国の再興も叶う。人の世の力を欲しいままに」」

「黙れ牛野郎」

 女は、恐怖に奥歯を鳴らしながらも、歯を食いしばって精一杯の笑顔で魔王を見上げて言った。

「今更、王国を成したところで何になる。私はモロク王。なれば、モロクに住む人々のことを第一に考えねばならぬ。今更、安定を壊して、王国を成すよりも、この地域の繁栄を、民の幸せを願ってこそ真の王。父もきっと、解ってくれると信じている。ウシの脳では解らぬか?」

「「人間が思い上がるな!」」

 魔王の口から灼熱の火球が放たれる。
 女は、インクィシターズ・レゾリューションを勢い良く地面へと突き立てた。すると、魔力を帯びた突風が吹き上がり、激しいせめぎ合いを起こしながらも、火球を相殺していく。

「魔王?寝ているうちに魔力が衰えたかい?」

「お、お師匠様・・・そんな挑発したら」

「解ってる・・・そろそろ本気でいくさ」

 女は、目を瞑り、そして小さく口を動かす。

「其は、冷たき冥府の川の水。其の流れはミスティックフローズンの如き冷徹なる調べ。死すら覆そうとした狂おしき愛の夢を分かつ川。司りしはグリモワール!

 其は、燃え盛る武勇の炎。其の熱き事はフレイムハートの如き不屈の闘志。勝利を求め続けた男の抱きし夢!司りしは王者の剣、カリブルヌス!

 其は、理想の器に宿りし木の実。其の恵みはグレイトネイチャの如き、偉大なる天恵。理想の器と、理想の心を作り求めた、真摯なる男の夢。司りしは、智恵の実!

 其は、風に乗りて大陸を渡る勇名。其の名は荒ぶる風、ラフウィンドの如き偉大なる英雄の名。己の勇名を、英雄の名を風に乗せんと願った男の夢。司りしは、魔法のランプ!

 四種の神器をもて、我ここに願わん、四精集いて、ここに邪なる死界の王を封じんと!」

 女の目の前に、グリモワールが現れ、青い光へと変わる。
 王者の剣が現れ、赤い光へと変わる。
 智恵の実が現れ、黄色い光へと変わる。
 魔法のランプが現れ、緑色の光へと変わる。

「行くぞぉ!我が武器に宿れ!神器の力よ!」

 そして、四つの光は女の手に握られたインクィシターズ・レゾリューションへと収束する。

 女は魔王モロクに向かって、大きく飛び上がった。

(違う!)

 何かが脳裏で叫ぶ。

 四つの力は覚醒しきれていない。だから・・・その分を何とか自分で。

(違う!!)

 何かが脳裏で叫ぶ。

 目の前に浮かぶ、可愛い弟子の顔。幻と解っても、その目を真っ直ぐに見られない。

「私は・・・何を恐れているのだ」

 モロクの街の上空。魔王の巨大な顎を前にして、女は呆然と自問した。

「「くっくっく・・・お前では、私は封じられぬよ」」

「うぉおおお!」

 女は、インクィシターズ・レゾリューションを魔王の頭に思いっきり叩きつけた。
 世界を洗い流すかのような真っ白な光があふれ出す。痛みも、恐怖も無い。だが、彼女はその中に見たのだ。幾千万もの、自分を凝視する魔王の目を。

 笑っている。哂っている。

 私は、失敗したのか?

***

 水の記憶

 大地の底で男は愛し合っていた。
 アルファ。嗚呼、アルファ。お前と一緒にいられるのならば、私はどんな場所でも構わない。
 その言葉に偽りは無かった。

 最初はこんな場所耐えられないかと思った。

 しかし、人など所詮はどこにいても同じなのだ。

 人生という檻に閉じ込められるのも、地獄の檻に閉じ込められるのも、大した違いは無い。

 ただ、そこに愛だけは確かにあった。

 それは、冷たく綺麗な冥府の川の水の記憶。

***

 炎の記憶

 男は石になりながら不思議な満足感を味わっていった。
 確かに哀しかった。自分は取り返しのつかないことをした。
 それでも、自らの手を、幾度も、握り、開き、その感触を想う。

 戦った。これ以上無いほど戦った。

 ただ、それだけはとても満足だったのだ。自分は破滅したなどとは思っていない。

 戦いに満足しきったからこそ、こうして岩になるのを選んだのかもしれない。

 きっと誰でもそうなのだ。どんなに渇望したことでも、満足すれば、心は岩のように閉ざされていく。それを、満足というのだろう。

 それは、熱く燃え盛った武勇の炎の記憶。

***

 大地の記憶

 愛とはこういうものか。
 男は己の行為に満足していた。リーエ。リーエ。リーエ。

 甘い名前。

 幾度と無く呼び、そして壊した。

 リーエを殺して、リーエは人になった。そして私は死して、リーエとの愛を貫いた。
 理想の器。理想の心。

 智恵の実が見せてくれた甘い夢。愛とは所詮そういうもの。
 最期の時にこそ試されるのだ。

 リーエも、自分も満足している。愛しきった。生ききったと。

 それは、恵み深き大地の記憶。

***

 風の記憶

 戦場に居たときと変わらぬ風が撫でていく山肌。
 自分の墓碑に供えられた花。

 英雄などという言葉を求め、戦っていた。

 だが、英雄というものは自らなるものではないのだ。
 それは、世界が、社会が、人が作り上げる虚構の像。

 英雄の墓として、花を供えに来てくれる多くの人々。

 だが、そんな中にいつもある、シュバルツバルドにしか咲かない貴重な花の花束。

 一人の弱い人間として、英雄でもなんでもない自分の最後を看取ってくれた人の供えてくれる花。
 それが一番嬉しかった。

 でも、なんだか隣で眠っている姉の機嫌は少し悪い。

 それは、力強き風の記憶。

***

 少女の言葉

「滅んでないと思います」

 あの時、少女は小さくつぶやいた。

 そして、女はその言葉の意味に気がつく。

 神器はその力を使い、使命を果たしてこそ覚醒する。自分は、彼らを救えなかった以上、覚醒できていないと思い込んでいた。

 一番解っていなかったのは、自分だったのだ。どこかで、自分のような人間が救いを与えられるはずがないとタカをくくっていた。いつも、斜に構えてクスクスと笑って現実の位置をずらすのだ。

 だから、いつも少女の目を真っ直ぐに見られなかった。
 真実を見透かされそうで。

 自分はそれを恐れていたのだと気づく。

***

 魔王の頭に突き立てられたインクィシターズ・レゾリューションから、徐々に光が失われていく。そして、光と共に、女の腕からも力が抜けていく。

「「愚かな」」

 心からも、まるで吸い出されるように力が抜けていき、インクィシターズ・レゾリューションも、完全に光を失う。

「「信じることすら出来ぬ者に、何が叶えられようか。潔く散れ!」」

 魔王の頭が激しく動き、女の全身を弾き飛ばす。

 空中に吹き飛ばされ、まるでスローモーションのように己の落下を感じる。

「お師匠様ぁ!!!」

 弟子の悲鳴。

 激しい衝撃と共に、体が地面に叩きつけられる。
 喉の奥から鉄臭い液体がこみ上げてきて、彼女はそれを思わず吐き出した。べっとりと、血のりが手についている。

 遅れて落ちてきたインクィシターズ・レゾリューションがゴトリと地面に転がった。

「に、にげ・・・ろ、オメガ」

「嫌です!お師匠様、死なないで」

 泣き付いた師の腹からは大量の血が溢れており、その奥では、見たことのない色をした内蔵が血にまみれて蠢いていた。

「ひっ・・・」

「こ、このキズじゃぁ、もう長くは持たん。逃げるんだ」

「でも!」

「そう・・・一つ、お前に謝らなければならない・・・。あの四人は、救われていたんだな・・・お前が、正しかったんだ」

 女は少女の頬をそっと撫でた。
 冷たくなりかけた指先が、あまりにも力ないその腕が、少女の涙を誘う。

 大粒の涙がボタボタと女の上に降り注いだ。

「私が・・・私があのバケモノを封印します!」

 少女は立ち上がり、魔王をにらみつける。

「「くっくっく、やれるものなら、やってみるがよい、小娘よ」」

「だめだ・・・あの神器の力は、モロク王族にしか扱えぬのだ」

「そんな事、やってみないと解りません!」

 少女は、師の腕から篭手を外すと、自らの手にそれをはめる。そして、あまりにも巨大な、インクィシターズ・レゾリューションを手にした。

 その時だった。

 少女の握り締めたインクィシターズ・レゾリューションから四色の光があふれ出し、彼女の全身を包み込んだのである。

「ば、ばかな!まさか、お前がモロク王族だというのか!?」

 女は少女を見つめながら、思い出していた。
 彼女の母、マルガリータは娼婦だった。そして、彼女の父親は誰だか知れない。そして、自分の父が色町に通っていた時期と、少女が生まれた時期はほぼ一致するのである。

「まさか・・・そんな偶然、いや・・・奇跡があるものか!お前が、私の妹だというのか?」

「お師匠様。私、やります」

「待て・・・オメガ・・・こっちに来るんだ」

 女は少女を手招きし、何とか体を起こすと、その血まみれの体で少女を抱きしめる。
 あれほどに頼りがいがあった女の体は、今ではまるで老人のように冷たく弱りきっていた。

「良くわからないが、どうやらお前は私の妹らしい。これから、お前に私の全ての知識と、力を託す」

「え?あ、あの、お師匠様!?」

「私はお前の中で生き続ける。だから、寂しがる事はない。お前は私だ。私はお前だ」

 そう言って、女は少女にキスをした。
 血の味のする最後のキス。

「さらばだ、オメガ・・・もっと、早くにお前が妹だと知りたかったよ・・・」

「お師匠様・・・ううん、レイホウ姉さん!嫌です!死なないで!」

「ありがとう・・・オメガ。お別れだ」

 女は小さく呪文を唱え、少女の腕の中で小さな光の粒となって消えた。そして、その光は少女へと吸い込まれていく。光に包まれながら、暖かい感覚と、そして大量に流れ込んでくる知識と力を感じて少女はその透き通るような目をゆっくりと瞑った。

「「くたばれぇ!」」

 魔王がそれを阻止しようと放った炎球も、その光に触れると一瞬のうちに消滅する。

 そして、少女は目を開いた。

 魔王を睨みつけるのは、理知の光を帯びた深い緑色の目。真っ黒だったはずの少女の髪は、夕日の如くに赤い色に燃えていた。

「私は、お師匠様を、姉さんを継ぎます」

 少女はインクィシターズ・レゾリューションを手に魔王の頭に向かって、一直線に翔び上がった。
 モロクのはるか上空で、魔王の頭にインクィシターズ・レゾリューションが突きたてられると、そこを中心に魔方陣が広がり、魔王を大地の底へと押し込んでいく。

「「バカな!」」

「四種の神器は、ここにその命を果たします」

 少女は、涙を拭いて気丈に叫んだ。

「ミスティックフローズン!フレイムハート!グレイトネイチャ!ラフウィンド!四精の力により、汝を大地へと打ち付けん!」

 断末魔と共に崩れていく魔王の体。
 そして、全てを浄化し、洗い流すかのような閃光とともに、魔王は完全に大地の底へと押し戻されていった。

***

 砂嵐も去り、アンデッドも消え去ったモロクの街の中心で、少女はただ呆然と声も出さずに、涙を流していた。 

 そこに、一人の男が近づいてくる。ターバンで顔を隠した、モロク風の男だった。

「お帰りなさいませ・・・貴女こそ、真のモロク王家の正統後継者・・・我ら家臣一同、地下に潜って、身分を隠しつつこの日を、お帰りを心よりお待ちしておりました」

 少女は涙を拭きながら、男を見上げた。
「王国は、終わりにしましょう」

 少女はアッサリと言った。

「え?」

「今更、王国なんて興しても、また戦争になります。そんなに民を苦しめたいのですか?」

「い、いえ・・・」

「ならば・・・この地に住むもの全ての繁栄を願うのが筋でしょう?でも、それでは浮かばれぬ霊もあるでしょう。ですから、復興の際には、町の中心にかつての王城を模したお城を建ててあげてください。ここに王国があったことを、未来までも記せるように。そして、魔王モロク封印の碑として…。それだけです」

「で、ですが」

「解りましたか?」

 少女は、その小さな体には似合わぬドスの効いた声で、有無を言わさず男に問い返した。

「それから、魔王モロクが復活をせぬように、監視をする組織を作りなさい」

「は、はいっ」

「それと最後に・・・私のことは忘れて下さい。王朝なんて、とっくの昔に潰えたんです。そんな夢、抱かない方が幸せですよ」

 少女は哀しげに笑うと、近くに落ちていたインクィシターズ・レゾリューションを手に取って立ち上がった。
 師の、姉の望んだことを一つずつでも果たさなければならない。

「これから、どうなさるのですか?」

「旅に出ます」

 少女はそう答えてから、心の中で「私はまだまだ師の名を継ぐには未熟ですから・・・」と、付け加えた。

「あの、せめて、お名前を伺ってもよろしいですか?」

 男は、この少女から妙な威圧感を感じているらしく、やたらと低姿勢で恐る恐るに聞く。

「私の・・・名前・・・。そう、私の名前はレイホウです」

 少女は悪魔のように微笑んで、クスクスと笑った。

***

 モロクを見下ろす丘にその墓はあった。墓碑銘は無い。そして、この墓には何も形あるものは葬られていない。

 ただ、多くの思い出のみが葬られているのである。

 そこには巨大なソードメイスが一本突き立てられ、絶えず花がささげられている。この墓に刺された異常とも思える精度で作られたソードメイスは、この地域の職人に刺激を与え、やがてモロクを中心にソードメイスの製造が活発になり、この地域特産の武器となっていった。

 魔王モロクを封印した少女の事は、殆どの人に知られる事は無く、ただ、まばゆい光が魔王を封じ込めたという事だけが世間には報告された。

 もし、あなたがモロクに行くことがあったら街の中心に行ってみればよい。そこにはきっと立派な王城があり、そしてそこには魔王が封じられている。

 ひょっとしたら、封印が解けかけている事もあるやもしれない。
 その時は、しっかりと頑張るのだぞ。クスクスクス。

 

 終わり