-枕かへしの見る夢-
赤い神罰

<春は蠢である。万物は蠢き生ずる。 漢書・律暦志>

 汽車はプロンテラ西の中央駅へと滑り込むと、甲高い金属の軋み声を上げながら、ホームの前で静止した。この車輪たちの軋み声は、長い旅路を終えて駅についたことへの歓喜か、それともこれから先、再び始まる終わり無き旅への絶望か・・・。

 どちらにせよ、大して人間と変わりない。何か終わるたびに人はため息をついたり、声を出したりするものだが、所詮それは区切りでしかなく、終わりではない。

 一段下がったところにあるプラットホームに飛び降りてレイホウは深くため息をついた。
 まだ朝早いせいで、若干肌寒いが、春の風は心地よく感じられる。今までいた場所となにが違うというわけでもなく、あくまで感覚的なものではあるが、確かに都市には匂いというものがある。

 慣れ親しんだプロンテラの匂いのする風が帰ってきたという実感を最も与えてくれる存在だった。

 かつて、王都プロンテラと書かれていた駅名は変わり、今ではもう一つの名前が張り付いている。帝都プロンテラ。

 一年前口火を切った革命は進展し、怒れる民たちは国王を殺し、様々な紆余曲折を経て、再び強力な指導者のもと、帝政として定着していた。

 この国の民は支配されるということに慣れすぎているのだ。いきなりそれが、無くなったとて適応できるものではない。

 「レイホウさん。やっと着きましたね。」
 後ろから声をかけてきた女にレイホウは無言で頷いた。

 足首まで隠れるような、やや前時代的な長い外套に身を包み、まるでその部分だけ世界が色を失ったかのような漆黒の髪は無造作にポニーテールに束ねられている。
 その、瞳は世界を冷徹に監視し、圧倒的な理知の光を満々とたたえている。そして、鼻の上に鎮座したミニグラスが一層その理知の光を倍加させていた。

 フォルミス・ツチミカド・ルッセリア。世界で最も賢き者かもしれない。4年前、バフォメット達魔族との戦いの際に、最終的に闇のエンペリウムを破壊し、彼らを魔界へと追い返した六英傑と呼ばれた人間の一人だった。

 レイホウにとって彼女は昨年、革命初期の際に起きた事件を共に戦った仲間でもある。

 現在、魔族との別離から四年、日を追うごとに薄くなっていた魔法の発動に使われる精は世界から消えうせ、去年までは強力な精を集める性質を持っているエンペリウムのかけらを使って、魔法を発動させることも出来たが、最早それすらかなわない。

 事実上、魔法と呼ばれる力は世界から失われた。

 「しかし・・・ヒマな話し合いだったが、お前が来ていたお陰でヒマもせず、助かった。」
 駅のホームを歩きながら、後ろから歩いてくるフォルミスの気配だけを感じてレイホウは振り向かずに話し掛けた。
 「はい。今回は、偶然アマツから特使として来る事になったもので、事前に連絡も出来ませんで。でも、レイホウさんも、無事に新たな皇帝陛下との宗教協約が上手くいってよかったですね。」
 「お前の通商条約もな。」
 「ええ。」

 フォルミスはレイホウの背中に軽く微笑み返した。
 革命の途中、国教が廃され、国家権力と疎遠になっていた教会だったが、新たな皇帝はその関係の改善を求め、昨日、プロンテラの郊外において宗教協約が結ばれた。また、同時にかつてルーンミドガズ王国と結んでいた各種の条約の維持の確認の為に、アマツからフォルミスもやってきたのだ。偶然、会場で居会わせて、こうして一緒にプロンテラに帰ってきていた。

 革命は様々なものを変えてしまった。
 駅から出て、町の中を歩きながらレイホウは考えていた。フォルミスは少しだけ小走りに進んで、レイホウの横へと出て、肩を並べて歩き始めた。

 「レイホウさん。平和とは・・・何なのでしょうね。」

 不意に、フォルミスが問うた言葉は、今の世界において本当に重たい言葉だった。

 魔族の放逐はイコール平和ではなかった。
 人は、共同体を形成するに当たって、どうしても敵を必要とする。人間という大きなくくりと、魔族という大きなくくりのぶつかり合いが終わったとき、人に中に多種多様な共同体が生まれた。それはある種当然の流れだったが、彼らはその共同体を維持するために、敵対要素を見つける必要があった。

 モロク、ゲフェン、アルデバラン・・・。かつて隆盛を誇った地方都市は独立を掲げ、互いにいがみ合い、牽制しあっている。シュバルツバルド共和国も内紛の末に、現在は帝政シュバルツバルドとして落ち着いている。

 平和とは・・・・。

 口元に指を当てて、唇を撫でながら考える。何か難しいことを考えるとき、自分が無意識にいつもそうした姿勢をとることにレイホウは気付いていない。

 「平和こそ・・・敵かも知れぬな。」
 「敵ですか。」
 「そう、敵だとも。何故戦う?どうして争いを起こす?何のために統一、独立、そんなものを掲げる?」
 「大なり小なり違いはあれど、恐らく平和に類するものの為・・・でしょうね。」
 「ならば、共同体は・・・いがみ合う敵というものの向こう側に、戦いとは相反するはずの平和を見ている。共同体を維持するためには、平和というありもしない幻想が必要だ。そしてその幻想を抱くには、戦いが必要なのかもしれない。魔族という都合のいい敵対要素たる連中がいない今、人と人がいがみあうのは・・・」
 「必定・・・ですね。」

 フォルミスはため息をついた。彼女の家は天文博士と呼ばれる地位にあり、代々アマツの祭祀や政治に携わってきた土御門(つちみかど)という名門である。彼女の家には神代にまで遡る膨大な量の歴史書・・・すなわち人の戦いの歴史があった。

 誰よりも、この終わらない連鎖を理解していたのかもしれない。だが、記録として読むものより、目の前にある現実、そして良く見知った人間からはっきりと断言される・・・そのほうが、恐ろしいほどに、戦いの連鎖をはっきりと認識することが出来た。

 平和は相対的な概念だ。フォルミスはそう思う。
 絶対的な平和などというものがあるのならば、それは平和という単語の定義から見直さねばならないだろう。平和は戦争状態があるからこそ見える・・・幻像。

 「革命も・・・安寧のためですね。革命は価値あるものだったのでしょうか・・・。」
 「さぁ?世の中のあらゆる現象、あらゆる存在は・・・私は無価値だと思うよ。」
 「無価値・・・ですか?」

 レイホウは神妙そうな顔で頷いた後、何か思いついたように、一瞬だけ意地の悪い笑みを浮かべ、再び元の神妙な顔に戻った。

 「無価値だとも。価値など、未来の人間が後付けで勝手に考えるものだ。人に向かって、価値あるものですか?などと問うものではない。この革命が無価値だったかどうか、それは、十年後、二十年後にお前が歴史書を編纂するときに決めるのではないか。革命の価値はお前が握っておるよ。フォルミス。」

 ニヤリと笑ってフォルミスの顔を見た。
 嫌味な笑みがとことん似合わない素直な顔をしたフォルミスも、対抗してニヤニヤと笑おうとしたが、なんだかよくわからない、困ったような笑顔になってしまった。

 「まったく、レイホウさんは本当に人が悪い。」

 「ところでフォルミス。あゆみはどうしている?」
 「ああ。レイホウさんはご存知ないんですか?何でも、植民地でとれるお茶が儲かるからって、直接買い付けに行くって言って・・・専務に会社を任せて取引に行っちゃってます。」
 「あいつらしいな・・・。ならば、あゆみとも会えないということは、お前はこのままアマツに帰るのか?」
 「うーん。どうしましょう・・・悩むところです。せっかくプロンテラに来たのですから、もう少し見学していきたいですね。最新の機械とかを。」

 「なるほどな・・・実は、フォルミス。これから私は大聖堂で一息ついたら、郊外の修道院へ行かねばならんのだ。地元の病人の治療などをやっておる修道院でな、そこの視察なのだ。興味があるなら一緒にどうだ?」

 「治療!?レイホウさん!是非、一緒に行かせて下さい!」
 フォルミスは目を輝かせてレイホウの顔を覗き込んだ。知的に見える顔立ちをしているが、眼鏡が無かったらどうなるだろうと考えて想像してみると、かなり幼い感じの顔立ちをしているとレイホウは思った。もっとも、その子供のように無邪気な探究心と好奇心の塊というイメージがそういうフォルミス像を作らせるのかもしれない。

 「一緒に来るのは、かまわぬが・・・そんなものにまで、お前は興味があるのか?」
 「はい。西洋の医学にはとても興味があります。アマツの治療というのは、どこが悪いから治そうというわけではなく、体質改善を目的として日常的に薬草などを調合した薬を飲みつづけるものなのです。健康の維持という点に関しては効果があるのでしょうが、こと何か疾患が出たとなったとき、決定的な治療法が無いのが欠点なのです。」

 「なるほどな。我々にはそういった健康の維持のための薬という習慣はないからな。フォルミスからでもそれについて教えてもらえれば、修道院でも役に立つだろうな。お互いの長所を取り入れれば、より良いものが手に入る。」
 「そうですね。ところで・・・ここ一年で、プロンテラもずいぶん活気を取り戻しましたね。」
 フォルミスに言われて、レイホウは周辺を見渡してみた。

 かつて、閑散としていた噴水広場も、まだ魔族との戦いが激しかった頃のように人が行き来している。

 二人は中央の噴水広場の前を、人の流れを避けつつ歩いていく。
 プロンテラはかつての隆盛を取り戻しているかのように見えた。貴族や国王による搾取の時代は終わり、商業の育成とともに、街は再び息を吹き返した。

 道端で果物を売っている露天には、植民地から伝わってきたという見たことも無い真っ赤な果実が並べられている。

 レイホウはその果物売りの少女の前で立ち止まった。
 「ほぅ、珍しいな・・・娘。これは何と言う果実だ?」
 「いらっしゃいませ。これは、えーっと・・・なんだっけ・・・そう、とまと。トマトっていうお野菜です。」
 「この色で野菜なのですか。まるで果物みたい。」

 フォルミスも珍しそうに手にとって見た。ヘタに近い部分はまだ緑色で、心地よい緑の香りがする。

 「ふむ。面白いな、二つ頂こうか。」

 「200zです。ありがとうございますー。」

 レイホウは200zを少女に渡す。
 「とりあえず、食ってみろ。フォルミス。」

 二個買ったのはフォルミスを実験台とするためでもあった。フォルミスは「いただきまーす」と言って、トマトにかじり付いた。真っ赤という、あまりなれていない色の食べ物に対しても、フォルミスは警戒心よりも好奇心が先に立つのか、ためらいはない。

 「わ!?」
 「ぬ!」

 噛んだところから圧力がかかってトマトの内部の液体が勢いよく飛び出す。なんとか回避したものの、もう一歩遅かったら真っ白な大司教の服に赤いシミを作るところだった。

 「すごーい。なんだか不思議な味です。でも・・・どっちかっていうとやっぱり野菜ですねぇ。」

 「ほう。どれどれ。・・・・・うむ。随分と水気の多い野菜だな。だが、悪くない。」

 程よい酸味と、甘味、そしてまだ熟れきっていない苦味が心地よかった。
 コーヒー、タバコ、お茶、今までこの街ではあまり見かけられなかったものが、街中で見られるようになったのも、今の皇帝になってからだ。

 レイホウとフォルミスは中央広場を抜けて、左に曲がり大聖堂へと向かう。
 拡張を続ける街はもはや、かつての相似形の都市としての性質を失い、北はミョルニル山脈付近、南は砂漠のギリギリにまで街は広がっており、いくつかのスラムや新たな中枢を形成している。
 そんな変化する都市の中で、この大聖堂が居を構える区域だけが、昔の面影を残したまま厳然と存在している。その、周りにまとった空気、匂いすら、遠く昔の世界へと通じているようでもある。

 「着いた着いた。部屋に着いたらお茶でもご馳走しよう。崑崙の方へと布教に行った宣教師から送られてきたものがあるんだ。」
 「それは楽しみですね。」

 レイホウは大聖堂の扉を開けた。石造りの廊下が続き、その先に立派なステンドグラスで飾られた聖堂が構えている。
 「ここの天井画はいつ見ても圧倒されますね・・・」

 フォルミスは廊下を歩きながら天井を見つめた。アーチ建築の技術の粋を凝らして作られた弧を描く天井には、雲の上の主の絵が描かれている。

 天国から地上の人間を裁くその表情は見る人によって感じ方が違うという。あるものは、辛そうだと言う。あるものは恐ろしいという。そしてフォルミスはその顔を見て思った。

 「寂しそうだ・・・」

 かつては人として大地に下り。人と交わり。人と暮らした。そんな救世主は再び天へと上り、全能を手に入れてしまった。人間ではなくなってしまった。彼は孤独だ・・・。

 フォルミス自身、天才と呼ばれ、人からいつも一歩距離をおかれていたからそう思ったのかもしれない。

 「これはレイホウ様。お疲れ様です!」

 聖堂にさしかかった当たりで、相変わらず濃い顔でボルツマン司教補がやってきた。禿げ上がった頭や強烈な強面は何度見てもインパクトが衰えない。

 「ボルツマン。大して疲れてはおらぬがな。留守中ご苦労であった。」
 「もったいないお言葉です。そちらは、おや、これはフォルミス様。お久しぶりで。」
 「こんにちは。ボルツマンさんもお元気そうで。」

 フォルミスは笑顔でボルツマンと握手を交わした。彼もまた、一年前に数度会った事があった。

 レイホウはフォルミスを伴って執務室に入ると、バタンとドアを閉めて、椅子に深く腰掛けると大きく伸びをした。

 「あーーー。やっぱりココが一番落ち着く。まあ、フォルミスも座れ。」

 「では遠慮なく。」

 フォルミスはそのまま底なしで、沈み込んでしまうのではないかと思うほどやわらかいソファに体重を預けた。
 教会に置くにしては随分と立派なものである。

 「さて・・・と」
 しばし椅子に体を預け、落ち着くと、レイホウは立ち上がり、戸棚から小さな缶とガラス製のコップを二つ取り出して、それらをテーブルの上に置く。缶を開けると、中には直径3センチほどの丸い玉を取り出し、それらを一つずつコップの中へといれた。

 「あの・・・それは?」
 「ふっふっふ。茶だ茶。見てのお楽しみだな・・・。」
 今度はボルツマンを呼んで熱湯を持ってこさせると、それをコップの中に注ぎ込む。

 湯で満たされたコップの中で、丸い物体は徐々にほどけていき、ついに大輪の花となる。

 「すごい・・・」
 「茉莉千日香という花を一個丸めて乾燥させた特殊な茶らしい。友人の宣教師が送ってきたのだ。」

 「見た目も綺麗ですが、香りも良いですね。いただきまーす。」
 フォルミスは一通り見た目と香りを楽しんでから、恐る恐る口をつけた。

 「美味しい。なんだかホっとしますね。」

 「そうだろう。なかなか良いものだ。アマツにも茶はあるのだろう?」
 「はい、ありますけど。こういうのと違って、発酵茶ではありませんね。単純に乾燥させたお茶の葉を、石臼で挽いて粉にして、お湯で溶いていただきます。美味しいけど、お作法とかが大変なのですよ。」

 「それは大変だな。茶はゆったりしたい時にいい。作法が大変なのではそれどころではないな。」
 「はい。気楽に飲みたいものです。」
 「飲んでしまえ。みんなそう思ってるもんだ。何も気にせず器に粉入れてジョバジョバとお湯入れて、飲んでしまえ。」
 「あはははは。それはいいですね。案外みなさんも同意してついてきてくれるかも知れないです。」
 フォルミスはにっこりと微笑んでもう一口お茶を飲んだ。六英傑などという呼ばれ方をして、天才などと畏れられて、フォルミスはある種の孤独を感じていたが、レイホウはそうしたことを全く意に介さず、堂々としている。暴虐とも思えるその振る舞いだったが、フォルミスには心地よく感じられた。

 あの壁画の救世主様にも、レイホウ様のような友人がいれば寂しくないのに・・・。

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 幼い頃の夢というのを、頻繁に見る。
 不思議なことに自分を見る夢が多かった。それは、決して曖昧なものではなく、まさに自分が目の前にいるのであり、だからといって、夢の中での自分が誰の視点に立っているかといえば、それもまた自分なのだ。

 私は誰?あの子は誰?

 燃え盛る炎に巻かれて、自分はいつも消えていき、そこで目がさめる。

 エウフラシアはベッドの上に半身を起こして、額にかいた汗をぬぐった。
 部屋にすえつけられた鏡をちらりと見ると、寝巻き姿の少女がこちらを見ている。鏡を見るのは、まるで夢の続きを見ているようで嫌いだった。
 朝を告げる鐘が鳴り響いている。修道院の朝は早い。普通は、まだ日の昇らぬうちから務めが始まる・・・のだが、この修道院は少し変わっていた。

 プロンテラ郊外にある聖・マルチェリノ修道院は、修行を目的とした閉塞した修道院とは違い、周辺の病人や末期の老人などの世話をする特殊な修道院だった。

 そのため、朝早いといっても、だいたい日の出と共に・・・である。
 エウフラシアはそこの修道院長の養女として、かれこれ10年近く、暮らしていた。

 エウフラシアは修道服に着替えると、顔を洗い、髪を梳かし、修道院内の入院者の朝の見回りへと向かった。
 もっとも、現在は大して重病の人間がいるわけでもなく、身寄りの無い老人が一人いるだけだった。ただ、日中は風邪を引いただの、怪我をしただのと、治療や薬を求めて、近隣の人間がやってくることも少なくない。

 老人の朝は早い。エウフラシアが起きる大分前から起きていたらしく、ジゲムント翁は部屋の中で本を読んでいた。

 ジゲムントというのは彼の名前で、元々はシュバルツバルドの出身らしい。頭髪は白くはなれど、減ることはなく、まるで仙人のような容貌になっている。
 元々は騎士だったらしく、一応の読み書きができるということで、教会内にある書物をヒマにまかせて片っ端から読み漁っている。

 「おやおや。エウフラシアさん。おはよう。」
 「おはようございます。ジゲムントさん。お変わりはありませんか?」
 「大丈夫じゃよ。あと50年は死なんつもりじゃ。」

 90歳の老人は元気そうに笑顔を浮かべた。エウフラシアはつられて微笑みかえした。

 「お、爺さんおはよう。エウフラシアもおはよう。」

 背後から声をかけられて振り返るとそこには三つ年上の修道士、マルコが立っていた。短く切りそろえた髪の毛は、元々そういう髪質なのか天に向かって重力に逆らって立ち上がっている。髪の色が赤いせいもあって、さながら燃え盛る火焔のようにも見える。
 元々はプロンテラ大聖堂に勤めていたらしいが、この修道院での仕事を望んでここにやってきたという珍しい人間だった。

 「マルコか。わしゃここにいると、孫がいっぱいいるようで楽しいわい。」
 「そりゃ何よりだ。爺さんのお陰で、山積みになったり整理してなかった本が整理できるからな。全部読み終わるまでくたばらんでくださいよ。」
 「はっはっは。まかせろまかせろ。」

 「ところで、エウフラシア。フェリクス様を見かけなかったか?」
 「いえ・・・見かけてません。」

 フェリクスというのは、このマルチェリノ修道院の修道院長であり、司教でありまた、魔族との戦いにより両親を失ったエウフラシアの育ての親でもあった。

 「そうか・・・今朝からずっと居ないんだ。確か今日は、昼頃にプロンテラ大聖堂から、大司教様が視察にやってくるんだよ。フェリクス様とお会いになる約束だったというのに・・・」

 「探して来ましょうか?」

 「いや、俺が引き続いて探すから、エウフラシアは朝食の用意とか掃除とか、普段の作業を頼む。」
 「はい。」

 マルコはその場を離れ、再びフェリクスを探しに出て行った。

 「では、私も朝食の準備に向かいますので・・・。」

 エウフラシアは一礼すると、食堂へと向かった。食堂では既に、副修道院長のトゥリビオ司教補が朝食の準備を始めていた。
 どうして副修道院長がこんなところに居るのかというと、この修道院の実質的なメンバーがそれで全部だからである。フェリクス修道院長、トゥリビオ副修道院長、エウフラシア、マルコの四人しか居ない。

 修道院に入って神の愛を極めんとするものにとっては、ここは手ぬるすぎ、かといって、普通に聖職者をやっていたい人間には特殊という環境が、そういった状態をもたらしている。

 そもそもここは、教会にしてはちょっと違うので、修道院と便宜上名づけただけで、正式には修道院としての扱いはプロンテラ司教座から受けていない。

 「おはよう御座います。トゥリビオ様。」
 「ああ、おはようエウフラシア。フェリクス司教がいないようだな」
 「はい。今、マルコが探しております。」
 「そうか、ならば良い、すまぬがそっちの胡椒をとってくれぬか。」
 「わかりました。どうぞ。胡椒も随分簡単に手に入るようになりましたね。昔は同じ重さの銀と交換だったのに。」

 エウフラシアは胡椒のビンを手渡しながら、しみじみと言った。
 植民地の拡大によって貴重品だった胡椒は現在ではこうして修道院でも多少は使える程度の価格に落ち着いている。これも、皇帝や革命のお陰といえばそうなのかもしれない。

 朝食の準備はすぐにでき、フェリクスを欠いたまま、マルコ、トゥリビオ、エウフラシア、ジゲムントの四人で食べることとなった。

 「そういえば、今日は大司教様が視察にいらっしゃるんですよね。」
 「その予定だな。困った・・・フェリクス様はどこへ行かれたのだ。」

 苛立ったようにトゥリビオは言った。
 マルコはというと、先ほどから無言のまま、神妙な顔つきで朝食を食べている。

 「どうしたの?マルコ。」
 「いや・・・ちょっと考え事をしていただけだ。」

 マルコは曖昧な笑みを作ってその場を取り繕うと、再び神妙な顔に戻ってしまった。

 「若いうちから考え事ばかりしておるとハゲるぞマルコ。」
 ジゲムントは笑いながら、マルコの頭を軽く平手で叩いた。

 「じゃあ、爺さんは若い頃は何も考えずに生きてたんだな。」
 マルコもニヤニヤ笑いながら、ジゲムントのふさふさの白髪に触れた。

 「口の悪い神父じゃな。」
 「お互い様だ。」

 ジゲムントとマルコはまるで親子か兄弟のように、そっくりなニヤニヤ笑いを浮かべて、お互いの頭を触りあっていた。

 朝食が済むと、マルコは大司教が来るのに備えていろいろと準備を始め、トゥリビオも部屋にこもってしまった。ジゲムントは本を一冊持ち出して外へ出て行ってしまった。天気の良い日は彼はいつでもそうしている。もうすぐ、大司教が来る時間だった。

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 天気がいい。雨の日にはいつも、この空に天蓋があったらいいのにと思うのだが、晴れの日は無くてよかったと思う。もっとも、日差しが強くなってくるとっまた、天蓋が欲しくなる。

 プロンテラ郊外の道をレイホウとフォルミスは肩を並べてぶらぶらと歩いていた。お茶を飲んで、しばらく休憩した後に、二人はぶらぶらと散歩でもするかのような気楽さでマルチェリノ修道院へとむかっていた。

 プロンテラ東門を出ると、そこから先には猥雑な新市街が広がっている。中央部とは違い、おのおのの家が勝手なベクトルで家を建てているため、秩序だった町並みというものが無く、街の拡張は、およそ生物が増殖しているかのようにも見える。

 雑多な新市街を抜けた先の小高い丘の上にマルチェリノ修道院はあった。
 「可愛い修道院ですね。」
 「可愛いか・・・そういう意見は初めて聞いたな。まあ、大聖堂に比べれば可愛い。」

 レイホウは丘を登りきると、修道院の門を叩いた。

 「はーい。」
 「プロンテラ司教座大司教のレイホウだ。視察に参った。」
 「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」

 ドアを開けたのは、15・6だろうか、まだ随分と幼く見える修道女だった。赤毛の髪の毛を綺麗に三つ編みにしている。
 「こんにちは。」

 少女と目が会ったので、フォルミスは微笑みながら挨拶した。

 「あ。始めまして。申し遅れましたが、私、この修道院のエウフラシアと申します。」
 「うむ。レイホウだ。」
 「こんにちは。フォルミス・ツチミカド・ルッセリアと申します。」

 名乗ったとたんに、エウフラシアの目は点になって口はぽかんと開けられたままになってしまった。

 「フォ・・・フォルミス・・・ツチミカド・・・ルッセリア・・・さん・・・」
 「ええ。」

 「あの・・・あの・・・ひょっとして、六英傑の・・・」

 恐る恐る聞き返すエウフラシアにフォルミスは満面の笑みを浮かべて頷いて見せた。
 「私の友人だ。そんな気にするこたぁない。取って食ったりされるわけじゃあないからな。」

 レイホウは驚愕しているエウフラシアを一笑にふすと、フォルミスを伴って修道院内にズカズカと入り込んでいった。

 「これはこれは、大司教様、はるばるご足労いただき有難う御座います。私、こちらの副修道院長を務めております、トゥリビオと申します。フェリクス司教が現在ちょっと・・・どちらに行かれたのか解りませんので・・・。申し訳ないですが、御用向けのほうは私が承ります。」

 「構わんよ。私が見たいのは中年男の司教じゃなくて、この修道院の活動だ。もっとも、ヤツが私を呼んだわけだが・・・まぁ、恋焦がれるほど見たい顔じゃぁない。気にするな。」
 レイホウは憮然として答えた。これが彼女の普段の受け答えなのだが、機嫌が悪いのではないかと思ってトゥリビオは終始腰を半分曲げたような姿勢でペコつきながらレイホウに付き従った。

 「とりあえず、お疲れでしょうから・・・」

 どこか落ち着ける部屋に・・・と言おうとしたトゥリビオだったがレイホウはその言葉を「疲れておらぬ、かまわぬぞ」と打ち消して、廊下を進んでいった。

 「今ここで、主に治療活動に当たっているのは誰だ?」
 「私です。」

 エウフラシアがおずおずと一歩前へと出てきた。

 「そうか。フォルミスが医学に興味があるらしくてな。治療や薬について話を聞かせてやってくれぬか。」
 「わ、私が・・・フォルミス様に!?」
 「だめでしょうか?アマツでも進んだ医療を施したいのです。」
 「め、滅相も無い!喜んで説明させていただきます。では、一応こちらに、薬とかの調合をする部屋が御座いますので、そちらで。」
 「ええ、よろしくね。エウフラシアさん。」

 「フォルミスはそっちで薬の話を聞くとして・・・私はどうしたもんかな。フェリクスが私に多少話があると書簡にあったのだが・・・」
 「申し訳御座いません・・・」

 半ばおびえているかのように受け答えるトゥリビオがいいかげん不快に感じられてきて、レイホウは本当にいらついてきた。

 「トゥリビオ。私は勝手に見回るから、下がってよい。」
 「はっ。かしこまりました。失礼致します。」 

 逃げ出すかのように去っていったトゥリビオを見送ると、レイホウは聖堂を見渡した。大聖堂のような華やかさはないものの、ゴシック様式の質実剛健なスタイルの聖堂となっている。祭壇を前にすると、丁度背後に入り口があり、左右に廊下が伸びている。ここらへんはプロンテラ大聖堂を縮小したようなつくりになっている。

 向かって左側の廊下にに進むと、そこにはは告解室があった。聖堂のほうには、信者が入っていく小さなドアが、逆がわには恐らく、神父の入っていく入り口があるだろう。

 告解室の扉を眺めながら、廊下を歩いていると目の前に一人の青年が立っていた。
 「おや?貴様は?」
 「失礼しました。俺は、ここの修道士でマルコといいます。レイホウ様ですね。」
 「ああ。フェリクスが話があるというから来たのだがな・・・おらんらしいな。」
 「申し訳ないです。まあ、汚いところですが、好きに見ていただいて結構ですから。俺は失礼しますね。」

 マルコはきびすを返し、少し先にある階段をリズムよく登っていった。

 と・・・それを目で追っていた瞬間。後頭部に激しい衝撃が走る。教会施設の中だということで完全に油断していたせいもあったが、レイホウの意識はそのまま闇の中へと放り出され、膝から床へと崩れ落ちた。

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 ズキズキと頭が痛む。まだ、意識が朦朧としており、視覚のピントが上手く合わない。
 ここはどこだ・・・。

 レイホウははっきりしない脳を必死で起こしながら、周囲を見渡した。長方形の狭い空間に自分はうなだれるように座っている。見上げると、少し上に窓のようなものがある・・・。

 「う・・・うぬぅ・・・。誰か・・・おらぬか・・・」

 なんだか、あまり嗅いだことのない妙な臭いがする。それらの不快な要素が頭の中をとろかして、思考を分解していくような気がする。

 窓の向こうで、ガチャリというドアを押すような音が聞こえる。
 「おや・・・どなたかいらっしゃるのですか?」

 マルコの声のようなものが聞こえた・・・。レイホウは何とか声を出そうとしたが、妙なうめき声になってしまった。
 「悲しむことはありません。落ち着いて、全てお話になってください。ここでの会話はあなたの天なる父しか聞いてはおりませんから・・・。」

 なんだ・・・?妙なセリフだ・・・普通は言わない。ここでの会話?ココはドコだ?
 この狭い空間・・・。

 告解室!?

 一瞬、意識が覚醒し、レイホウはなんとか壁にもたれかかれながら立ち上がると、見えているのに上手く認識できないため、半ば手探りになりながらもドアノブを掴んだ。

 「私だ・・・レイホウ・・・だ・・・誰かに・・・」

 ドアを開けると、新鮮な空気が肺に流れ込んできたが、それ以上レイホウの意識も体力も続きはしなかった。助かったという安心感が脳の緊張を解いてしまった。
 まるで、小人か何かが頭の中で滅茶苦茶に踊り狂っているかのような酷い頭痛が、意識を蝕んでいく。

 壁に預けていた体重が・・・少し重心がずれた・・・と思った瞬間には支点を失い、体は再び床へと倒れこんだ。

 そして、再び意識が消えた。

 

--

 目を開けると、目の前にはフォルミス・エウフラシア・マルコ・トゥリビオが顔をそろえて立っていた。そして、その先には天井がある。
 最初は壁かと思ったが、ようやく自分が横になっているという事実に気付いて、それが天上だと認識できた。

 「うっぅ・・・・」

 半身を起こすと、まだ頭痛がした。
 「大丈夫ですか!?レイホウさん。」
 「うぅん・・・・フォルミス・・・大丈夫だから大声を出すな。頭に響く。」
 「あ、ごめんなさい。」

 「びっくりしましたよレイホウ様。告解室のドアを開けたところで、倒れていらっしゃるんですから。」
 「やはりあの声はマルコか・・・。お前のお陰だ。」

 レイホウは頭痛をこらえながらなんとか笑顔を作ってマルコに礼を言った。

 「あの時お前が、私を懺悔に来た信者と勘違いして声をかけなかったら、私はあそこがどこだかすら解らずに、あのまま倒れていたかも知れぬ。」
 「いえ。偶然ですよ。ただ、ごそごそと告解室から物音がしたので、信者の方が懺悔にいらっしゃったのかと思って声をかけただけです。でも、何であんな場所にいたんです?」

 少し照れたように頭をかきながら、マルコが聞き返した。

 「いや・・・お前と別れたあと・・・そうだ・・・誰かに後ろから殴られたんだ。そして、気が付いたらあそこにいた。」
 レイホウはなんとか、その瞬間のことを思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。何か、自分を殴った人間が一瞬視界に入ったような気がしていたのだが、それは明確な像を結ばずに、頭の中で霧消していくばかりである。掴もうとすればするほど、まとまりを失って散らばっていく感覚に、息苦しさすら覚える。

 「うーん。レイホウ様を、気絶させて告解室に閉じ込めるなんて・・・現場をもう一度見に行って見ましょうか。」
 恐る恐るエウフラシアが提案した。

 「そうですね・・・大司教様にそのような不埒な行いをする者がいるとは・・・許せませんからな。」
 トゥリビオはフェリクス不在の失態を繕おうとでも思っているのか、妙にやる気を出している。

 「じゃあ、また襲われたときに備えて、俺がここに残りますので、三人で告解室のほうをお願いします。」
 「そうですね。マルコさん。お願いします。行きましょう。」

 フォルミスがエウフラシアとトゥリビオを伴って、部屋から出て行った。

 「まったく・・・酷い目にあったもんだ。」
 三人が部屋から出て行くのを見送って、レイホウは天上を見つめたまま呟いた。
 「ご無事で何よりです。」

 マルコは窓に腰掛けていた。開かれた窓から流れ込んでくる春の空気が、未だ少しだけ混濁した意識を洗い流してくれるようで心地よい。
 マルコという青年はこうしてみると、髪型こそ逆立っていて男らしいが、割と小柄で、中性的な容貌をしていた。

 「酷い目にあった後じゃなんですけど・・・いいところでしょう。ここは丘の上だから、プロンテラが一望できるんです。」

 そう言われて、窓の外に目を向けると、確かにプロンテラの町並みが一望とまではいかないが、一通り見ることができる。大聖堂の鐘楼もここからしっかりと見ることができた。

 日の光が若干傾きかけていることから考えて、だいたい自分は一時間くらい気を失っていたのだろうとレイホウは逆算した。

 「ところで・・・」

 マルコが何かを切り出そうとしたとき、それは起こった。

 「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 絹を裂くような、エウフラシアの悲鳴に、マルコもレイホウも飛び上がる。シーツを跳ね除けて、レイホウとマルコは悲鳴のもとへと走った。階段を駆け下りて、告解室の前まで来たとき、二人は目の前の光景に絶句した。

 つい、さきほどまでレイホウが監禁されていた告解室の中には、無残に殺されたフェリクス司教の死体が打ち捨てられている。
 「お義父様!お義父様!しっかりなさって!」
 体をゆすってエウフラシアは声をかけているが、それが怪我人ではなく、死体であることは誰の目にも明確だった。

 死体にすがり付いて泣きつづけるエウフラシアをなんとか、二人がかりで引き離す。

 「血・・・血文字だ。。。」

 告解室の壁を指差して、レイホウが言った。その壁には、指で書きなぐったような、血文字が書き記されていた。それは明らかに、フェリクスが書いたものではなく、何者かが残したメッセージのようだった。

 「Judicare・・・・審判・・・・か」
 レイホウは苦々しくその文字と死体を見つめて呟いた。

-続く-